解説:「ゆっこ の じかん」シリーズ
アトリエのページに、「ゆっこ の じかん」というタイトルのシ リーズを展示しました。 家族は私を「ゆっこ」と呼んでいました。(本名:ゆきこ) 学校の成績は良い方で、学級委員なども務める優等生でしたが、そ れに加えて、いえ、それよりも喜びだったのは、4歳からのモダン バレエや、6歳からクラシックバレエ、7歳から日舞と声楽のレッス ンなどなど・・・一週間のほとんどを「レッスン」「稽古」に勤し んでいました。そう、それこそが「ゆっこ」の日々だったのです。 音楽を愛する母のおかげで、幼い頃からジャンルを問わず、音楽を 身近に聴く環境でした。そして音楽が聴こえると、自然に身体が動 いてしまう「ゆっこ」でした。 70歳一歩手前の年齢になって、今更ながら気づきました。 私の芸歴は4歳から始まっていて、日々培ってきた技術の上にある のだということを。 基礎から学んで身につけた技術が、諸先輩に認められ、存在を見出 され、ひたすらコツコツと歩んで来た積み重ねが、「岡崎友紀」な のです。 宮城まり子さんや森繁久彌さんに見守られ、「ゆっこ」は「岡崎友 紀」となって世に知られる存在となりました。 実はこの「岡崎友紀」に、自分でも何故なのかわからない居心地の 悪さを、常に感じていました。 どこか理解されていない空気感、何か勘違いされているような違和 感・・・があったのです。 多くの業界の人間、そしてファン、いずれにもその違和感を感じ続 けて、その理由がわからないままでした。 その<違和感>が無かったのは、NTV「ゲバゲバ90分」の収録 時だったことを思い出し、ヒントになりました。日本テレビプロデ ューサー井原高忠さんは、真の「岡崎友紀」をご存知でした。 歌い、踊り、演技する「岡崎友紀」は、確固たる基本を学んで培っ てきた努力の結果なのだということを、井原さんは理解してくださ っていました。 ですから、井原さんとの仕事場は、居心地がすこぶる良かったので す。 自分の主演シリーズをさしおいてまで、「ゲバゲバ90分」を絶賛 してしまう自分が謎でしたが、やっと解明できました。 人にはそれぞれの「歴史」があります。その全貌を他人に、そして 万人に知ってもらうことは困難かもしれません。でも、真実の自分 を理解されている時、何より心穏やかになれますし、存分に力量を 発揮できます。 あゝ、もっともっと、自分の「真実」を押し通せばよかった。 私が舞台出身であることを知らない人や、そんなことはどうでもい い人ばかりに囲まれて仕事を続けてきた「岡崎友紀の時間」。 あらためて今考えると、「岡崎友紀」は勘違いや誤解で包まれた< 着ぐるみ>のよう。 私のキャリアは、たくさんの人々を笑顔にしたり、幸せな時間を提 供してきたはずですので、決して間違っていたとは考えていません 。 ただ、理由や原因はいろいろあったにはせよ、真実の私からは少々 ずれた場所を歩くことになってしまったその道を振り返ると、なん だか複雑な気持ちになります。 もう時間は取り戻せませんが、心の中から「ゆっこ」を静かに取り 出して、その「じかん」を蘇らせるつもりで、キャンバスに向かい ました。 その時代の写真はほとんど残っていないので、絵で私の人生の断片 を描くことにしたのです。 アトリエのページに展示した「ゆっこ の じかん〜」シリーズの絵 の数々は、「岡崎友紀」の基である「ゆっこ の じかん」を拾い上 げて描いた作品です。 岡崎友紀 |
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